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1. 夏のリゾート 承徳
夏の訪れとともに、北京市民の間で話題になるのが、山間の承徳、海辺の北戴河の二大避暑地です。さしずめ、軽井沢、湘南海岸といったところでしょうか。承徳は、北京から東北方角に約二五〇キロ。列車、遊覧バス、ともに五時間ほど。内蒙古高原と華北平原の境にひろがる山地の中にひらけた風光明媚なリゾート地帯で、広大な離宮の造営がはじまったのは、清の康熙(こうき)四十年(一七〇一)から。清朝は、辺境守備のために大規模
Author: 構成 邱南英 え 余陳 Year 1990 Issue 8 PDF HTML
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2. 雍和宮 孔廟 国子監
旧北京城内に古都のおもかげを色こく残す一角があります。半日のフリータイムをあてて、ぜひ訪れてほしいところ。雍和宮(ようわ)―孔廟(こうびよう)―国子監(こくしかん)。地下鉄(環状線)の「雍和宮駅」が、ちょうど雍和宮の地下。地上に出て、雍和宮大街を下ると、きらびやかな牌楼(パイロウ)が立つ“正面入口”へ。奥の深いこの北京最大のラマ寺は、「文化大革命」期の破壊からも免れ、往時のままに、その偉容を誇って
Author: 構成 李雪琴 え 余陳 Year 1989 Issue 12 PDF HTML
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3. 最新北京ホテル情報
さながら雨後のタケノコのように建ち並びはじめた高層ホテル群。アジア大会選手村のある「安立路」を南下して「安貞橋」(安貞立体交差)から第三環状道路に入り、進路を東にとると、北京発展大廈、東方芸術大廈、崑崙飯店、長城飯店、兆竜飯店、京広新世界飯店、国際貿易センター(中国大飯店)、……環状道路のグリーンベルト越しに、右にも左にも、まあたらしい“のっぽビル”が建ち並んでいるのです。北京のホテル地図は、この
Author: 構成 金田直次郎 え 余陳 Year 1990 Issue 9 PDF HTML
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4. 北京→西安→敦煌 新ルート就航機で敦煌へ
誰もが一度は訪れてみたいと思うシルクロード上のオアシス―敦煌。ゴビの砂漠に隔てられた敦煌へは、北京から列車で四、五日間。甘粛省内の柳園(りゆうえん)で列車を降り、さらに半日、マイクロバスに揺られて、やっとたどり着くことができる。井上靖先生の名作·『敦煌』が映画化され、敦煌は、今、国内外の旅行者のあこがれの的になった。といって、長い旅程は、多忙な現代人にとっては、おいそれと“踏破”できるものではない
Author: 邱南英 Year 1988 Issue 8 PDF HTML
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5. ルポ 大連 増える日本企業の投資
日本の投資は増加の傾向大連はいま、日本の“投資ブーム”で沸き返っている。市の中心にある大連賓館、国際大酒店、富麗華酒店といったホテルの入口には日本の金融機関、商社などの駐在員事務所の看板がズラリと並ぶ。「日本経済技術展覧会開幕」「日本の画家大連で個展開く」「火力発電の専門家鈴木博幸氏を大連華能発電所々長に」「竹下首相 中国投資環境調査団を大連に派遣」……地元の新聞『大連日報』を開くと、毎日のように
Author: 本誌 邱南英 Year 1989 Issue 2 PDF HTML
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6. 歴史的な握手
一九八九年五月十五日、北京時間十二時一分。濃紺のスーツに身をつつんだゴルバチョフソ連共産党書記長がイリューシン62の扉に姿をあらわした。タラップを下りる。地上には赤いじゅうたんが敷かれ、出迎えた楊尚昆国家主席が歩み寄って手をさしのべる。かたく握られた手が、上下に何回もゆり動かされた。記者には、同じこの場所の同じような場景が、自然に想い出されたのだった。一度は、十七年前、周恩来総理がアメリカのニクソ
Author: 本誌·邱南英 Year 1989 Issue 8 PDF HTML
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7. 北京新しい魅力
世界最大の広場に臨んで建つ天安門。一九四九年十月一日、毛沢東主席が、この天安門の楼上から、中華人民共和国の成立を宣言したことは、余りにも有名です。新中国のシンボルとなった天安門は、明代、清代をつうじて、皇城の正門でした。北京城は、内城と外城に分けられ、内城の中央南部に皇城が、皇城の中に紫禁城が位置します。天安門の南、広場をはさんでとおく天安門とあい対するのが正陽門。内城の正門にあたります。俗称は前
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1990 Issue 2 PDF HTML
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8. 山西古跡めぐり ②五台山
五台山の名は、日本人にもなじみが深いのではないでしょうか。早く文殊菩薩(もんじゆぼさつ)のあらせられる聖地とされ、唐代には、玄昉(げんぼう)、霊仙、円仁(えんにん)、宋代には、奝然(ちようねん)、成尋(じようじん)といった日本の高僧が、万里を遠しとせずして、この聖山を訪れています。山西省の東北部、五台県内にあり、高くそびえる五つの峰の山頂は、さながら「うてな」のように平らなことから、「五つの台(う
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1990 Issue 11 PDF HTML
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9. 山西省古跡めぐり④平遥
太原市から南西へ九〇キロ、明·清代の城郭がそっくり残るまち―平遥を、山西省古跡めぐりの旅の最後に訪れます。城壁に囲まれたまち全体が、そのまま“古代城郭博物館”といった趣の平遥は、周の宣王の時代(紀元前八二七~前七八二年)に、大臣の尹吉甫が築いたといわれますが、今に残る城壁は、明の洪武三年(一三七〇年)から、それまでの城壁を基礎に拡大築造されたもの。東西南北に直交する街路と通りに面して並ぶ商家、奥に
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
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10. 天下の名山 黄山
黄山は、安徽省の南部にある東西三〇キロ、南北四〇キロにおよぶ景勝地で、明代の大旅行家徐霞客が全国各地の名山大河を歴遊したのち、ここに来て、国じゅうに安徽の黄山に及ぶ山はなく、黄山に登ればほかに登る山はない、とたたえた所だ。黄山は、黒い石が多いので、はじめは黟(い)山といった。唐時代、道教を信じた玄宗皇帝が、遠い昔、この山で黄帝が不老不死の仙薬をねったことを聞いたので、天宝六年(七四七)に、黟山を改
Author: 構成 曹復 え·岳峰 Year 1991 Issue 5 PDF HTML